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1巻はなんだったのか
どうもシュクレールです。



2巻からがおもしろい。

もう土橋カテゴリを作ってもいいんじゃないかなと思うくらい。
この人の作品が好きです。

こんなお話ダヨ・・・
この世界の東京にはスフィアと呼ばれる仮想現実の東京が重なりあうように存在している。実世界の東京のデータもとに隅々まで再現されフィードバックされている。ユーザーはポータルから意識だけをログインさせて、アバターを用いてスフィアを歩きまわることができる。
これはものだけでなく人もデータとして捉えられるので、犯罪の監視が隅々迄行き届く一方、プライベートの剥奪など問題もあったが、それらを孕みながらスフィアは作られた。そしてはじめはユーザが楽しむものだったが、やがて企業が参入し様々な広告活動が行われた。
また、女性限定でストライカーという役割が与えられ、バトルを行うことで広告塔や楽しみのためにこれらが行われていた。
そのなかでもトップストライカーであった遥花と主人公の前田は恋人であったが、スフィア崩壊の事件を堺に記憶をなくしてしまう。
スフィア崩壊後は積極的なログインを避けていた主人公であったが、遥花がスフィア再生のキーマンであるとの噂が流れる。そしてスフィアにもうひとりの遥花らしき人物がいて・・・。
仮想現実の東京を舞台に繰り広げられるゲームバトル小説

という体で。
2巻読んだあとだと
1巻は単なる世界観をまず書いただけっていうかんじかなと思いました。
土橋イズムが炸裂するのは2巻からです!

2巻のあらすじ
再生されゆくスフィアを見越して、Xゲームが開催される。それはユーザー参加型のゲームで、スフィア復活を印象づけるためのものだと思われた。
人間界を侵略せんとする魔王軍。
東京4都市に構えるストライカーが扮した魔界の四天王を撃破し、魔王に挑み、参加者はこれを阻止する。
しかしゲームは現実の東京全土をマス目の盤上にしたチェス仕立ての戦略ゲーム。
他のユーザと協力しながら攻略を楽しむゲームの筈だった。
しかし暗躍する顔の見えない主催者。そしてなぜかゲームから抜け出せなくなってしまった主人公たち。
四天王として登場したわけありなトップストライカー達。
PKありの仕様が徐々に疑心暗鬼を生み、レア装備が裏切りを誘発し、攻略は困難を極める。
このゲームが東京に与える影響とは・・・。

主人公たちは騎兵・戦士・弓兵・魔法使いの駒になり、1m四方のマスに身を置く。30秒ごとにターンが経過する。様々な陣形によってボーナス効果が得られ、四天王含めこれらを用いて優位にゲームを進める。
それぞれに機動力と耐久力と攻撃力が設定され、射程もそれぞれ異なる。陣形によってこれらのパラメータを強化することができるが、職業限定の陣形もある。
死の概念があり、倒されたキャラクターは再度このXゲームに参加することはできない。また、設定された機動力外のマスに侵入するとダメージを受ける。

・・・・・

これってラプンツェルの「矛盾」のところで似たようなことやったよね・・・。
あ、でもまた違った感じでいいです。
今までの小説と違って命がかかってない気軽な設定がいいっすね

扉の外:ノアの箱舟的な設定。人類は滅亡しました。優秀な人材選出のため子供たちは殺しあってください。
ツァラトゥストラへの階段:ねーちゃんを助けるんや→裏社会へ
ラプンツェルの翼:間違えると飼ってる天使に食い殺される。
殺戮ゲームの館:身内に潜む魔物を探さないと1夜で1人殺される
生贄のジレンマ:クラス多数決で犠牲を捧げて生き延びる
アトリウムの恋人:我らゲーム同好会!スフィアを舞台に今日も元気!

こうしてみるとスゲーっすね・・・
とはいえ生贄のジレンマとかものすごく面白かったなぁ・・・。
あとあとがきがいつもおもろいな。
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異能バトルものではないそうです。
どうもシュクレールです



ランジーンコード

このラノ文庫対象作品です。

このラノ文庫についてはちょっと自意識過剰かなともおもうのですが。
評価だけしてればいいんだよオメーらは。的な。

何はともあれ読んでみました。

この物語は世界観が面白いです。

以下HPより抜粋

コトモノ――遺言詞によって脳が変質し、通常の人間とは異なる形で世界を認識するようになった者たち。27年前にその存在が公になって以降、社会は人間とコトモノとの共存を模索し続けていた。そして現在――全国各地でコトモノたちが立て続けに襲われるという事件が発生。事件を追う武藤吾朗(ロゴ)は、犯人が6年前に別れた幼なじみ・真木成美であることを知る――。遺言詞の文字(ランジーン・コード)が綴る、ヒトとコトモノの幻想詩。

猫線

とまぁこんな感じです。
(*以下自分の解釈なので間違っていたらごめんなさい。)

簡単いってしまえば思い込みで自分の世界をもっている人たち。それがコトモノです。
天が地だと認識している人は天井にぶら下がって生活をしています。
実際にはワイヤーで吊るしているのですが、本人たちはそういった現実との摩擦にかんする事柄は無視するようになっています。本人がそうだと思い込み、其れを実現するためになんとか現実と擦り合わせて其れを意識から除外してます。

他の異能ものと違うところは、あくまで認識は自分の中で完結しているところ。

超能力でモノを動かすことができるコトモノは、実際にはワイヤーで動かしているだけです。が、本人はそれを意識から除外するので、念力があるのだと思い込んでいます。

なのでタネも仕掛けもある異能という点で他の小説と異なっています。

大きく分けてコトモノには二種類あり、
同一型:自分が思い込んでいる「あり方」に環境や容姿を合わせて、そうなのだと思い込むコトモノ
分離型:別人格としてコトモノを宿している。よって本人はいたって普通。

コトモノも生命と一緒。人がことをなし繁栄するように、コトモノも遺言詞(イゲンシ)によって繁栄していく。

主人公の武藤五郎(ロゴ)はダリという名前のコトモノを絵として記録することができるコトモノを宿している。それは自動的で、コトモノを視認するだけで勝手に絵を描く。(巻が進む毎にパワーアップしてくのですが)

でもってヒロイン?は幼女!
ムジカというコトモノを宿し、遺言詞を詠唱することによってそれを現実のものにしてしまう。
天地がひっくり返ったコトモノの遺言詞なんてビルがひっくりかえるんだぞおお。
こいつは明らかに異能力者だろ。という突っ込みはさておき。

幼女は他人の遺言詞を知ることはできないので、ロゴがそれを見ぬいて記録し、幼女が詠唱するって構図か?

とはいえ基本的には頭がいっちゃってるコトモノを相手にして主人公と幼女が事件に巻き込まれながらうんたらかんたら。

コトモノが現実との間の摩擦を無視するとはいっても、機械技術に長けたり、数式に強かったりと、頭がイイと思いこめば実際に頭が良くなっちゃうってのもいろいろ無理があるのかなとも思いつつ。

そこそこ面白いです。

ありふれたてんけてきてきなキャラ萌で踏ん張ってるラブコメなんかよりは間違い無く面白いっすよ。
(いや、あれはあれで頭が疲れているときに読むといいんですけどね)

バッチリ異能もののほうがドカーン!ズカーン!で読んでて面白いってのもありますがねー。
昨今のラノベとはちょっと違うといういみで注目です。
異能ものになって行かないように願います。
1~3はまだこの世界観の入口を紹介した程度なのでしょうから、この先に期待です。


シロクロネクロのこと
どうもシュクレールです。

なんとなく手にとってみた本です。
戯言も読み終わって、最近はめぼしい本がなかったので。

単純に面白かった。
funnyないみで。
電車の中で読むと笑ってしまうから困る。

あらすじ:
開始早々主人公がゾンビで生き返るところから始まる。
ヒロインのシロネクロのゾンビとしてクロネクロと戦うんだけど、基本的におそらくゾンビ的にグロテスクなんだろうけど・・・そうは感じない。
非常に明るく、素早いテンポで話は進んでいく。
おもにシモネタてきなギャグがテンポよく挟まれていている。イメージ的にはハレグウのテンポ。

主人公は完全自立型のゾンビ。といっても容姿は生前のまま。穴があこうがちぎられようが、現世への未練(おんなのことえっちがしたい)を活力に回復できる。
この要素がこの物語の核なわけです。
主人公の妄想が多種多彩。オレたまをちょっと思い出した。
というのも、未練なので、満たすと成仏してしまうわけです。
つまりは寸止め推奨。

深い世界観はなく、むしろ著者のシモネタのスピード感がこの作品を面白いと言わしめるところだと思います。っていうか逆に深い世界観はこの場合要らない。ギャグだし。

ホントに書き手の技量で電撃の賞を貰ったんだなぁ。
と想像してみました。

とりあえずためしに読んでみた本だったのですが、2巻は即買でした。
銀河鉄道の夜を読んでます。
どうもシュクレールです。

193を体験することができたのでその記事を書こうと思ったのですが・・・。
後日にします。
あとカテゴリ的にラノベ?じゃないけど気にしない。

ふと読みたくなりました。
というのも文学少女のなかで語られる銀河鉄道の夜に興味を惹かれまして、本屋によって宮沢賢治の棚を探してみました。
太宰・夏目とならび、こういった日本文学を作ってきた本も読みたいという欲求が今になって高まりつつあります。
宮部みゆきの棚が大きすぎて宮沢賢治は微妙に見つけにくかったです・・・。

ともあれ銀河鉄道の夜を見つけて、1時間ほどで読み終えることができました。

正直、私はこれがどんな話かしらずに読みました。
いや、正確には、この本の解説を良く知らずに読みました。

解説をこれから読むところです。

今の時点での感想は、カムパネラとジョバンニの煌びやかなたびのお話。しかしながらおそらく天国?へ向かうという基本筋は見えるのですが、
・なぜジョバンニがのっていたのか?乗ることができたのか。
・青年と兄弟以前の鳥取りなどの描写がいまいち天国というところに行く過程の人には思えなかったこと。何か意味があるのか。それとも世界観を作る描写だったのか。
・途中で降りていった人たちは天国に向かうという流れにおいてどういう位置づけの人たちだったのか。
・ジョバンニの父親の位置づけがいまいち分からない。
・ジョバンニとカムパネラの関係性

まぁ、一部は文学少女のなかでも議論されているところなので、知識は持ち合わせているのですが。

きっと現代でおなじテーマで書くとしたら、もっとジョバンニとカムパネラの別れは涙を誘うほど壮大なものに書き換えられるのではないかなと思います。

おそらく―――。

カムパネラはよそよそしくなってしまったジョバンにと本心では友達で居たくて、それで天国へ向かう最後にジョバンニを銀河鉄道に誘って別れを言いたかったんだと思う。
でも、一緒には行けないから。青年がいっていたように家族がいるのに連れて行くことはできないから、だからそっけない態度しかとれなかった。
という背景を含んだカムパネラの心理描写が描かれるのかなと。

でもこの作品はカムパネラの心の描写は一切なく、だからこそそこに味があるのではないかなと思いました。
なので、天野遠子ふうにいえば、一見あっさりした見栄えの、たとえるならうどんのようなものだけど、職人が手打ちで作り上げた腰があって、いろんな食材が混ざり合った掻揚げが乗っていて、はじめはサクっと食べれるけど、なんども食べるうちに汁をすってじゅわっとにじみ出るうまみ。しかし、麺はつるつるっとすべるように飲み込むことができる。のど元を通るときに胃と流れ込んで染み渡る熱がここちよい。

そんな食べ物でしょうか?

さて、こんだけ恥ずかしい私見と食べ物センスを書き記したので、解説を読んでさらなる赤っ恥をかきにいこうじゃないか!!
ついに完結となりました。
どうもシュクレールです。


15年目での完結だそうです。


■わたしと深沢先生

15年前といえば、わたしはまだ××歳なのですが。 当時はまだライトノベルというのがジャンルとして定着しておらず、わたしも市民図書館のティーンズコーナーでラムネ&40とかロードスとかを借りて読んでいた時代でした。そのなかでみつけた「フォーチュンクエスト」が深沢先生との出会いでした。
たしか私の記憶では、デュアンサークは2巻くらいで一度とまっていて、しばらくはフォーチュンのほうがどんどん刊行されていたように思えます。フォーチュンの世界で勇者として語られるデュアンという、どちらかというと外伝てきな位置づけかと思っていました。フォーチュンがなんか中途半端でとまって、そこからデュアンサークのほうに注力しはじめて、2になってからイラストも綺麗になり(いやいや時代に沿うようになっただけだとおもいますが)。ルルフェというロリ(ryが登場して、英雄譚としての装いを見せ始めました。
当時のロードスやいまの電撃文庫にはない、キラキラしたいわゆる僕らがゲームのジャンルとして言うRPGをしているのがすごく特徴的な世界観でした。レベルアップや職業という概念がなんかゲームっぽくて好きでした。
ラノベが急速に伸びた2005~7年ごろ。そのちょっと前において、深沢先生はちょっと減速してます。他のラノベを書いてたり、他社で書いてたりと、フォーチュン/デュアンの世界からは遠ざかっていたように思えます。そしてまたデュアンが始まり、なんか前半と後半でそれぞれ2PTをちょっとずつ話を進めていくというスタイルがもどかしかったですが、当時のファンとしてはうれしい限りでした。狼や禁書でなんか霞んでましたが、ルルフェが可愛くてたまらんですたい!

■フォーチュンよりはデュアン
コントを見ているようなフォーチュンよりは、デュアンサークのほうが読み応えがあります。やっぱり戦闘シーンはガチのほうがいいっすよね。というわけで出会いはフォーチュンだったのですが、デュアンサークのほうが断然好きです。あとルルフェが可愛くてたまらんですたい!

■結末について
ネタばれしない程度に。
あるていど予想していたので無難かなと思いつつも、さっぱりはしない。
一言で言うなら「俺たちの戦いはまだこれからエンド」
あ、ダークイービルのほうじゃないっすよ。
とりあえずルルフェが可愛くて俺の嫁決定!
あとルルフェがボクっ娘だったら萌え死ぬ。

■そのた
まぁ、ラノベ発展の歴史とともに歩んできたといってもいいこの作品が終わってしまうのは、とても感慨深いものがあります。あとがきでも仰られてますが、「おつかれさま」とわたしもデュアンと深沢先生にも仰りたいです。最終巻にはなんども泣きそうになるシーンがありました。それはこれまで積み上げてきた歴史とデュアンたちのたびの記憶がここにきて一気に溢れ出したものでした。単にその場面を描写しただけでは決して湧き上がる感情ではなかったです。終わってしまうのはすごく残念ですが、もちろん終わりを見たいという気持ちもあります。まだ外伝も期待して、この余韻を楽しみたいと思います。

■深沢美潮先生へ
長い間おつかれさまでした。そしてありがとうございました。
ラノベにおけるファンタジーというものについて多くの方に影響を与えた作品であると思います。若い作家が多く、大人の恋愛の価値観というものが書ける作家は多くないと思います。それら人間の心情というものをリアルに描き、ひょっとしてこれこそがコアであり、ファンタジーという要素はそれを彩る程度のスパイスであったのかなと思いました。もちろん見方や受け止め方はそれぞれにあり、すべてが間違いではないのでしょう。
当時まだ幼かった私とラノベを繋げたその一因に先生の本があります。
これからも読み続けます。
これからも書き続けてください。
次は海洋ものでおねがいします。
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こうぶつはけものみみとのーびす(♀)とエリーン
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